静岡県知的障害者福祉協会

相模原事件7年にあたり

相模原事件7年にあたり

相模原事件7年にあたり

 2016年7月26日未明の出来事は、これからも容易に忘れられるものではない。私は、事件発生から数日後まで「植松聖死刑囚の動機的な言動は個人的な価値観でしかなく、多くの国民はこんな非情なことは認めないだろう。」と、あくまで植松死刑囚の責任を問い、彼を責めていた。が、意外にもネット等での反応は植松死刑囚を支持するかのような投稿が見受けられた。第2の、第3の犯行が起きてしまうかのような印象を持ってしまうほどだった。
 『命の尊厳・大切さ』を私たちは常日頃から職員はもとより地域に発信しているので、こんな凶悪な事件が起きるとは誰も予想しなかったのではないか。でも、起きてしまった。何故?何故なのだろう。
 それはたくさんあるのかもしれない。私が思うことを2点挙げてみた。これは私の反省でもあり、他の方からのご意見を頂戴したいことでもある。
 1.尊厳のある活動や生活を私たちは提供できていただろうかという反省
 『尊厳ある』とは何だろうかとこの間ずっと考えてきた。やはり『説明と同意』に根差したサービス提供なのだと思う。アセスメントをしっかり行い、本人が持っている強みをよく理解した上での活動プランの提供。そして、本人がわかる方法で情報提供をし、意思決定、自己決定を尊重していき活動や生活内容を実践していくことが尊厳あることなのだろうと思う。これらの一連の流れがその施設も含め、当法人でもできていたのだろうか。そして、活動や生活の内容を最大限地域に知らせることで、『命の尊厳』を世の価値観にまで高めたいと思うし、また故糸賀一雄氏の『この子らを世の光に』をさらに実践を通じて広めていきたいと思う。
 2.社会保障や福祉は経済の足を引っ張るという誤報を鵜呑みにしてしまっていたことの反省
 先日行われた日知協主催『全国知的障害関係施設長等会議・第4分科会』の講演で早稲田大学松原教授は『社会保障制度は経済の足を引っ張り、人間をダメにするとずっと言われ続け誤報と誤解が繰り返されてきたがそんなことはない。この考え方を打破していくことが必要だ』と、沢山のデーターを根拠に説明されていた。いたずらにこの誤報や誤解を私たちは消極的にも自ら振り回していなかったかという反省。
 この事件は、2016年7月当時の社会にいた少数派の「障害者観」の到達点だったのかもしれない。それを打破し、少しずつでも実践を通じて『命の尊厳・大切さ』を心底からの価値観として、すべての国民が持てるように微力ながらこれから
も活動したいと思う。
 御霊にご冥福のお祈りと、共生社会の実現に近づくように精進していくことをお誓い申し上げたいと思います。

 

静岡県知的障害者福祉協会 会長 池谷  修

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